兄ちゃんこんばんわー、と声が聴こえたら狐がいました。耳がフカフカで、胸の白いマフラーやしっぽの大きさもエレガント(*‘∀‘)
絵描きしていると、不思議な体験をいつもしますが、今日も不思議な体験でした。
兄ちゃんこんばんわー、と声が聴こえたら狐がいました。耳がフカフカで、胸の白いマフラーやしっぽの大きさもエレガント(*‘∀‘)
絵描きしていると、不思議な体験をいつもしますが、今日も不思議な体験でした。
先日、師匠の珍しい大和絵の絵が架かっていると聞いたので頑張って行きました。3月12日までですので是非。https://www.nhk.or.jp/kyoto/lreport/article/001/02/
手っ取り早く何が凄いか解説します。世界中で天才作家と認められる条件が幾つか有りますが特に評価される点は「赤色」が出せる事が第一技です。ピカソもルノアールもミケランジェロも赤色が出せたから認められたのです。赤色を出すのは、声楽で言うと完璧なベルカント唱法が出来る殆ど超難易度が高い腕が必要です。師匠の絵をご覧ください、赤色のバリエーションが素晴らしい。第二に、これも古今東西問わず「構成力」です。俵屋宗達、尾形光琳に匹敵する見事な構成力です。過去の巨匠の作品を辿って見てもあり得ない構成力です。プロの描きが全員無理と思うほどの数学的知性です。畏怖を感ます。第三に、金色を使える。秋野不矩以外にはこの様な成功例はない技法。普通は金色と彩色面が分離するか装飾性を優先させますが、師匠の絵は作品に溶け込み自然な空間や装飾性のぎりぎりの接点で調和させています。過去の作家の作品を辿れば平家納経や寝覚物語絵巻の成功例。近代から現代ではこの様なバランスを保てた作例はない。第四に形を描く力、ほぼ全て彩色や線は一発描き。しかも引き目かぎ鼻、今回、作品を間近で拝見出来ますが、一発で、しかも筆先に柔らかい情緒感じる軽やかさ。気絶するほど恐怖を感じる上手さ。第五に筆使い。日本画の岩絵具に透明感や艶を感じる彩色法は、筆の上下運動による濃淡や抑揚の妙技です。没骨法を使いながら一ミリ以下の精度で形と質感を同時に表している。つまり、一筆で3つ以上の事を同時に行なっている。ミケランジェロも出来なかった技。この様な事が出来るので辰砂や朱色一色でこの様な赤色のバリエーションが出せる訳です。
第六に線の妙、
第七にたらし込み技法
など、
私が、師匠として選んだ目👀にくるいは無かった事に誇りにおもいます。そして、もし同級生だったら絶望しか無かっただろうと想像すると安堵します。秋野不矩は第一回上村松園賞を受賞していますが、秋野先生から直接お尋ねしたのですが、都をどりの舞妓の絵などの仕事は「あんな絵、(笑)」と、余技の様事と考えられていました。が、今回、展示されている都をどりのポスター用の原画は、プロの作家からすると実現不可能な奇跡が定着されている絵です。
ほんと、師匠で良かった、さもなければ絶望を突き付けらた感じに、或いは、何が表現されているかさえも分からなかったと思います。
家族はこの様なお仕事はやめて自分の絵を描いてしねと言いますが、幾ら良い絵を残しても日本画が無くなってしまっては、意味がないのでお金とか関係なくこの様な奉仕お仕事をしています。いつも粉本を作っていますが、普通の人なら逃げ出す誰もしない様な仕事をしていますこんな時間と手間といろいろかかえて仕事していて家族はアホかと言うわけです普通の感覚からすると実生活を維持できないお教室ですが、師匠の言葉を借りれば「自分を出発点にして」絵を考えれば私が学んだ事を文書や描き方のフォーマットを残す仕事を今やっておかないと日本や日本の文化が無くなってしまう時期が早まりますから。と、申しますのも、高野山のお坊さんが「人が要らなくなったものは無くなる。宗教も日本画も無くなります。」と、仰り如何にも真言宗のリアリズムだと思いましたが、長い歴史の中で無くなった文化は沢山ある事を思えば、全くその通りですから。テキトーに教えている日本画教室が多く有りいよいよ日本画家が自ら日本文化の土台を崩す現在ですので師匠から託された使命だと思っていろいろ揶揄されながらもやってます(^^)多分、私が最後の日本画家かも知れませんね。
うますぎるでしょう!この絵 ほぼ、目も口も鼻も筆で一発描きですよ!天才すぎる。「私は人物描いて形を外したことがない」と言ってたものね。これ(*‘∀‘)師匠の秋野不矩の名作が展示しているというので京都大丸に3月12日までに行かねばならない。https://www.nhk.or.jp/kyoto/lreport/article/001/02/秋野不矩は「都をどり」のポスター原画を延べ20年以上描ていました。描いた本人はさしたる余技程度にしか思っていなかったようですが、(実際に先生本人に聞いた)ほんと、名作ぞろい。しかし、原画自体は祇園甲部が待っているのか?散逸しているのか?現在見れることはめったにないです、否、殆どないです。1950年代かた70年代、90年代、恐ろしい名作ばかりの舞妓の絵。先生の余技の絵、見たいな。
ここのしだれ梅は、日本でも樹高ではほぼ日本一の大きさ、流石に見事でした。満開です。梅が最高❗️普段は非公開の鈴鹿の梅園です。研究園なので巨木のしだれ梅が沢山拝見出来ました。どの梅も、一本だけでも村や町の名物になる様な巨木梅で少し勇気を出して足を伸ばした甲斐がありました。今まで、神奈川や奈良、大阪、京都の梅園や有名な梅の木や旅で見つけた梅を見たり描いたりして来ましたが、ここに来れば今までの苦労が嘘の様で、素晴らしいの一言です。奈良で見た巨木のしだれ梅もここでは小さな小物です。観光客の皆さんも桜かと見まごうほどの大きさです。夜桜ならぬ夜梅は桜より鮮やかで綺麗、その上、香りも桜より品格がある様な気がします。お香で良く桜や梅の香りがありますが、あれと一緒です。桜の香りは場所を選びますが梅の香りは場所を選びませんし一段上の様な雰囲気がします。ただ、研究園だけに全てが巨木で普通が何か分からなくなります。凄すぎてd( ̄  ̄)、やはり人の手で管理されてこそ樹木は、綺麗に形が整い美しく咲きます。枝振が何処から見ても美しくなるよう、時期を見て掘り返して木の向きを変える事もあるそうで凄い技術だと思いました。世界中、何処を探してもこんな素晴らしい梅園はないです。ここは来れば桜より梅、と、断言出来ます。しかし、巨木しだれ桜は何処でも見れるけど、巨木しだれ梅はほぼ見れないので見たことの無い人には比較出来ないので分からないかもなぁと思いました。