堀文子「トスカーナの花野」
先ごろNHKテレビで日本画家 堀文子のアーカイブされていて観ました。
懐かしかったです。
それは昔の思い出です。
わたしの通っていた日本画の学校には、幽霊部員ならぬ幽霊先生が居た。
堀文子と言う先生だ。
学校の教授案内には、堀文子、加山又造、上野泰郎、松尾敏夫と、あるが堀先生は誰も見たことがない。
居るのか居ないのか?幽霊先生だ。
わたしの入学した年のクラスの主任は加山又造でしたが、正確にいうと堀文子クラスでした。
お陰様で、一年生の時は先生が定まらず、唯一、堀先生の内弟子みたいだった指導主任の市川保道先生がとても良くしてくれて、
加山先生やいろんな先生が見守ってくれる様になっていました。
まぁ、わたしとしては加山先生に習えるが幸運でしたので、同級生のみんなも堀先生の事はすっかり忘れていました。
ところが四年目の春の講評会に突然、堀先生が来たのです。
白髪を紫色に染めて、紫の度付きサングラス、ラメの刺繍の入ったスーツ姿。
周りの空気を一般させる様な艶やかな何処かの国の姫様の様な麗人が颯爽と学校に来たのです。
こんな人が先生だったらみんな下僕の様に平伏したに違いないと思いました。
この時に、女絵描きの方が偉いんだと、思ったのです。
横に居た薄汚れた渋いスーツ姿の加山先生が、溺れた河童の様にしか見えないでした。
カッパ、カッパ⁉︎、見なかった事にしよう。尊敬する師匠。
さて、講評会は、
わたしは、大学院には行く気が無かったのでその春休みの作品は、在学中に加山先生に技法的な事を色々聴こうと思って、
深紅のコチニールの背景に金銀の野毛や截金、切石や砂子をふんだんに波の様に散らした背景に裸婦の絵を描きました。
とにかく日本一の金箔使いの作家である加山又造のアドバイが如何しても拝聴したかったからです。
ところが、堀先生の特別講評会みたいになって、思惑が外れてしまったのです。
堀文子先生が来るのであれば他の絵を描いたのに!
いやはや、裸婦の手の指の表情について堀先生は色々教えてくれましたが、
「あなた、後で酒宴に出ますよね(笑)。その時お話ししましょう。」と、突然わたしの講評が終わりました。
(//∇//)。
困った、今日は、この後、インド哲学ゼミだし、その上、わたしはお酒が苦手。
堀先生は大変な酒豪だと聞いていたし。
あの酒飲みたそうな目、絶対潰される\(//∇//)\。
今年は多分、もう一回、卒業制作の時にも来てくれそうだし、今回は失礼しよう。
でも、それっきり堀先生は幽霊の如く二度と学校に現れなかった。
しかし、あの颯爽とした先生の姿とまなこは忘れられなかったです。
今でも良い思い出です。